【竜操教室 塾長日記】「わからない」で止まるのか、答を見て伸びるのか

「答えを見る」ということと、「答えを写す」ということは、本質的に意味が異なります。


問題集を前にして手が止まっていると、塾長は必ずこう言います——「答えを見なさい!」と。


なぜかと言えば、それが自学における基本的な学び方だからです。


「わからないことは先生に聞きなさい」


小さいころからそう教えられて育つと、わからないことがあるとすぐに誰かに聞くという方法しか思いつかなくなります。


その結果、もし聞く相手がそばにいなければ、勉強はそこで止まってしまうのです。


わからない問題をただ見つめて、じっとしている時間が長くなり、時間を費やしたあとで答えを取り出して丸写しするだけになってしまいます。


これは、勉強とは言えません。


答えやその解説は、自分が困ったときにどうすればよいかを導いてくれる、大切なツールなのです。


それを保護者や学校の先生が取り上げるなんて、もってのほかです。


そんなことをするからこそ、答えの冊子は「丸写しするためのもの」になってしまうのです。


できるだけ早い段階から、わからない問題があれば自分で解答や解説を見て参考にしたり、解き直したりする力を育てていかなければなりません。


その力がまったく身につかないまま、つまり答えの冊子の使い方を知らないまま高校生になってしまうと……それは非常に悲惨なことです。


答えの冊子は、自学において絶対に必要なツールです。


それが当たり前の認識になるよう、啓蒙していかなければならない——塾長はそう考えています。

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