【塾長日記】一概にプリント主体の授業が問題ってわけでもないですが。
最近の学校の授業では、プリントを主体にしている先生が多いようです。
という塾長自身も、基本的には演習プリントを中心に授業を組み立てていることが多いです。
反対意見も多いですけどね。
特にベテランの先生たち。
特に、自分の板書と演説に自信がある先生たち。
自分の素晴らしい板書をノートに取らせることが生徒の成績を上げるためのベストの授業だと信じてらっしゃるからこそ、ノートをあまり書かせない授業なんてあり得ないとお思いなんですね。
でも、授業内容って千差万別で、指導する先生も、指導される生徒たちも、いろんなレベルなので、このやり方が正解!というのは無いと塾長は思っています。
目の前の生徒たちのそれぞれの目標に向かって一番近づける方法はどのような方法なのか。
ひとつ言えるのは、毎年毎年同じ内容の授業をするのではなくて、その場その場で臨機応変に対応できることが求められていると思います。
その臨機応変の結果として、板書主体の授業に帰結したのであればそれで良いし、いつの間にかプリント主体の授業になったのであれば、それはそれでOKなのではないかと思うのです。
板書主体の授業というのは、それはそれで相当なスキルが必要なものですし、それによって生徒の成績を上げられる自信がある先生は、ぜひどうぞ!という感じですね。
ただ、
塾長はもともとノートを綺麗に取ったことが無いので、自分が生徒の時、とにかく板書がやたらと多い上に、それをちゃんとノートに書いていないと理不尽に怒る先生は大の苦手でした。
やってみようと思ったことはありますが、基本的に書きながら同時に聞くって無理だと思うんですけどね。
教える側は毎年毎年同じことを教えているんだから、板書しながら説明するなんて楽勝なんでしょうけれど、教えられる方は初めて聞くことばかりなんですよ?
聖徳太子じゃあるまいし、同時になんてできるわけないじゃん!って思ってました。
だから、今でも自分の授業内では、説明を聞くところと書くところ、問題を解くところはできるだけ分けるようにしています。
それに、教科書に綺麗にまとめて書いてある内容を、説明時に一応板書はするにしても、それを生徒たちがいちいちまたノートに写すなんて無駄じゃないですか?と個人的には思います。
だから、塾長はどっちかというとプリント派なんですよね。
そんなどっちかと言うとプリント派の塾長ですが・・・
それにしても最近の中学校の授業はちょっとおかしくないか?って思うことがあります。
授業で配ったプリントをいちいちハサミで切ってノートに貼らせる先生が多いんですよね。
それ意味あります?
普段は板書をノートに書かせている先生が、ごくたまに配る資料プリントをそのノートに切って貼らせるというのはわかります。
でも、ほとんどプリントでしか授業をしないのに、それをいちいち全部ノートに貼らせる、しかも大きさを合わせるためにいちいち切らせるって、何かの罰ゲームですか?と思います。
基本、プリントだけなんだから、無くさないようにそのままファイリングしておけばそれで充分でしょう。
貼り付けるだけのノートも無駄だし、切ったり貼ったりの作業時間は本当に無駄です。
それが直接成果に結びついてるとは全く思えません。
こういう先生は、何のために授業をしているのか、ちゃんと考えてるんでしょうか。
生徒がその授業内容を少しでも理解し、入試やテストで困らないようにするためだと、塾長は思ってますので、プリントがきれいにノートに貼ってはるとか、そもそもノートがめちゃくちゃきれいに整理されているとか、そこが最終目標じゃないでしょ?と思っています。
なんだか、まとまりの無い文章になってきましたけど、
要するに板書主体でノートを取らせる授業だとしても、あるいはプリント主体に進めていく授業だとしても、手段のところにこだわって、結果にこだわっていないのは良くないと思いませんか?ということです。
やたらと板書をノートに書かせるだけで、説明は全然頭に残って無かったり、プリントの穴埋めで書かせる内容を減らしているのに、その省力化を切り貼りの作業時間に充てていたり。
ちゃんと考えて授業を工夫している先生だったら、板書主体だろうがプリント主体だろうが、あるいは今はやりのアクティブラーニング形式だろうが、それなりの結果は出せるはず。
手段や方法が良い悪いという議論をしてもしょうがないってことが言いたかったのです。
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