【竜操教室 塾長日記】答と解説は何のためにあるの?
問題集を解けとは指示されても、答と解説の冊子の見方を習ってないんです。
だからどうなるかと言うと、答を見るときはそれをそのままコピーすることになります。
正解なら〇をつけるだけ。
不正解やわからない問題だったら、解答と解説を赤でそのまま写すだけ。
答や解説を利用するとかアレンジするとかそういう概念がまったくないので、書いた直後でも自分が何を書いたのかまったく頭に残ってません。
わからない問題にぶつかったときには、自力でなんとかしようとして結構長い時間考えているのに、あきらめて答を見るとなるとそこからはまったく頭をつかわないのです。
別に、わからなかったらすぐに答と解説を見ればいいじゃないですか。
よく読み込んで一通り理解したら、答と解説を伏せて、もう一度自分でやってみたらいいんです。
途中で詰まったら、また解説をチラ見すればいいだけのこと。
そうやって、自力でできることの幅を増やしていくことが勉強です。
正解なら正解で、解説が自分と同じ解き方なのかを確認することも大切。
自己流で解けたとしても、セオリー通りの解き方で無ければ別のパターンに対応できないかもしれません。
勉強は、そうやって未来に向かって自力でできることの幅を増やしていくことです。
今できるかどうかよりも、明日できるようになっているかどうかが大切なんですけどね。
なんか、「答は絶対に見ちゃダメ!!」って言う間違った指導が、結局は答を見るだけしかできない生徒を大量生産しているように思えて仕方ありません。
同じ様なことだと思いますが、
小学校の時の宿題で一番嫌だったのは日記とか読書感想文などの作文系じゃなかったですか?
塾長は、書けなくて困ったときにはほとんど誰かの作文を参考にしてましたよ。
まあ、最初はほぼパクリなんですが、だんだん自分のアレンジを加えていくことでそれなりの文章になっていきます。
そのうちに、だんだん何も見ないで書けるようになっていくわけで・・・
「学ぶ」とは「真似ぶ」ともいいますが、作文の書き方なんて誰も教えてくれないのに、いきなり書け!ってのが無理なんですよ。
最初はお手本を真似するところからです。
学校の勉強は答や解き方があるものがほとんどですからね。
それを上手く使いこなすことが必要なんです。
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