【竜操教室 塾長日記】大量に綺麗に書けば良いってもんじゃなかろうに。

漢字にしても英単語にしても、やみくもに何回も続けて書かせる宿題ってなんとかならないものかと思います。


昔からありましたけどね。


昔からあって、みんなそれを経験してきているので何にも違和感を感じないのでしょうが・・・


上や横に書いてあるのを見ながら、それをただ続けて書くのって、習字なら字形を覚える効果はありそうですが、果たして記憶には残りますか?


だって、社会や理科の用語を覚える時って、年齢が上がってくると結局は一問一答形式の繰り返しになるじゃないですか。


いや、何なら大学受験に向けた英単語や古文の単語の暗記だって、赤のシートで隠しながら一問一問覚えていくわけで。


それが小中学生の宿題だと、なぜか、ただ続けて10回書いてこい!ってなって平気なんですよ。


中学生の長期休みごとの英語のワークなんて酷いもんですよ。


最初の10ページほどは、なぞり書きからの同じ単語を5回続けて書かせるみたいな。


そんなものを毎回毎回やらせるから、真面目な子ほど、ただ同じことを繰り返し書いただけなのに充実感を感じていたりするんですよ。


大事なのは、覚えてますか?ってことなのに。


そういう意味では、最近の中学校の普段の宿題の傾向も心配です。


授業のレポートを書かせることが増えたんですが、綺麗にまとめた、しかも大量の記述のあるレポートほど評価が高いんですよ。


それだけ綺麗な元ネタを探してきて、それをどれだけノートに綺麗にコピーできるかっていう、どちらかと言うとデザインセンスがレポート評価につながって、それが成績に反映されるっていう・・・


世の中の方向性がそうなってきているのは仕方ありませんが、結局のところ、覚えてますか? 使えますか? ってことが忘れ去られていくようで心配なのです。


テストで点を取るには、「作業」だけしていてもダメですよ。


同じ「作業」でも、覚えるため、使えるようにするためという目的を忘れないようにしなければいけません。

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