【塾長日記】そもそも提出課題が無ければ勉強しないという時点で勝負はついているのです。
高校の非常勤の授業では、学年末テストに向けて、課題の指示をしないといけない時期になってきました。
一応、テストの範囲と、それに向けてやっておかないといけないところは指示しますけどね。
宿題?課題?って、小学生は別として、中学生や高校生に必要なんですかね。
やらないといけないと思ったらやるでしょうし、やらなくても自分は困らないと思ったらやらないでしょう。
宿題なんて、せいぜいそんなもんですよ。
それに、ちゃんとやる子にとってみれば、自分のやりたいことと競合する課題は迷惑以外の何物でありませんし。
ちゃんとやっているかどうかは、テストの出来でわかりますよ。
もし宿題を出すのであれば、宿題をやらないとどうなるか、自分にとって何が困るのか、宿題だけでなく、勉強を今しておかないと、将来どういう不利益が生じるのかを、懇々と解き続けなければ意味がありません。
提出されたかどうかだけを追っても仕方が無いのです。
本人がまず目的意識を持たない限り、宿題を強制しても、勉強するという面ではまったく意味がありません。
提出の強制には、決められたことを守るとか、世の中には嫌でもやらないといけないことがあるとか、そういう規律面の教育の意味はあるかもしれませんが、成績を伸ばそうとか、勉強ができるようになろうという面では、それほど大きな意味があるとは思わないのです。
とは言っても一応塾長も、最低限の課題提出は指示しています。
暗黙のルールですから仕方ありません。
そうすると、提出する生徒と、催促しないと提出しない生徒、そして、催促しても提出しない生徒に分かれます。
自主的に提出ができていない時点で、経験上、もう中身は見るまでもありませんけどね。
ほとんど、丸写しのやっつけです。
未提出の生徒は、
「先生、提出を忘れて、すみません!」
担任に言われて謝りに来るんですけど、いったい何を誰に謝っているのでしょう。
別に塾長は謝られる覚えは無いのです。
だって、提出されようが未提出だろうが、塾長は何も困らないからです。
もし謝るとすれば、未来の自分にでしょう?
入試直前の自分が、過去の自分に対して、
お前ふざけんな!
お前がサボっていたおかげで、入試で困っているじゃないか!
俺の人生は最悪だ!
って怒っていたとしたら、その困っている未来の自分に謝るというのであればわかります。
今日も日本中で、無理やり宿題が出され、それを何も考えずにただこなすだけ、つまり答を丸写ししたり、友達のを見せてもらったりして、とにかく体裁を繕うというとても無駄な作業が発生していると思います。
それこそ本当に膨大な時間の無駄ですよ。
その上、そんな膨大な無駄に対して、指導する先生も、保護者も、とりあえず提出課題が出されているということをチェックして安心し、それで自分の仕事が終わった気になっています。
そうじゃないでしょう。
もっと根本的なところを懇々と説き続けるのが本来の仕事のはず。
勉強がやらされるものになっていたのでは、それはもはや勉強では無いのです。
先生に怒られるから勉強をするのではありません。
自分にとって必要だから、強制されなくても、自分から必要なことをする。
そういう意識を持って物事判断できる生徒を増やしていかなければと思います。
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