【塾長日記】答を見るのって、なんだか負けだよね!という感覚から早く脱して欲しいのです。
数学の問題を解いていて、わからない問題にぶつかった時に、
「先生、わかりません!」
ってすぐに聞いちゃう生徒、とても多いです。
おそらく小さいころから、わからないことはすぐに先生に聞きなさいね!って言われ続けているのかもしれません。
いや、聞きもしないで、そのまま無かったことにするよりは全然オッケーですけどね。
それに、そもそも問題を解く気もない奴に比べたら、先生に質問するなんて素晴らしいことですよ。
でも、すぐに質問することが勉強になるか?と聞かれたら、それはちょっと疑問なのです。
まずは先生に聞く前に、最低限、答と解説を読む努力をして欲しいと思うのです。
答を解説を見た上で解き直してみて、それでも理解できない時はどんどん質問したら良いですけどね。
だから塾長はよく質問に対応する前に、自分で答を見なさい!と言うことが多いです。
というわけで、
今日もいつものように、答を見なさい!って言うと、
なんか、答を見るのって、負けって感じがするんですよね~
って言う子が居ました。
過去にも何回か同じ話を聞くことがあったので、おそらくそう思っているのはこの子だけではないでしょう。
負け!って何に対する負けなのかはよくわかりませんが、彼女の中では、答を見ることは”負け”だけれど、先生に質問するのは”負け”ではないのだそうです。
えっと・・・、勉強する目的は何でしたっけ?
今回は自力で解けなくても、次にその問題に出会った時に解けるようになることのはず。
その意味では、答を見ることも先生に聞くことも、どちらかが負けってわけではないでしょう?
早く問題を解けるようになりたいと思ったら、できるだけたくさんの問題を繰り返し解くことが一番です。
そのためには、自分で答と解説を読んで、ある程度その内容を自力で理解する力をつけることが必要です。
他人にすぐ聞く癖になってしまうと、わからない問題をクリアするのに、常に面倒で無い方法、つまり他人に説明をさせて、自分はそれを聞きながらうなずくだけでなんだか勉強している気分に陥ってしまうことになります。
いつもいつも質問して、すごく勉強をしている気分なのに、いざテストになるとまったく問題を自力で解けないってタイプ、すごく多いんですよ。
わからない問題にぶつかった時に、答をすぐに見るのはけっして”負け”ではないし、もちろん先生に聞くのだって”負け”ではありません。
本当に”負け”なのは、わからない問題を自力で解けないま放置してしまうこと。
答を見ようが、先生に聞こうが、最終的なゴールは自力で解けるようになることにあるのです。
そこを忘れないようにしてほしいと思います。
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