【塾長日記】なんでも機械に任せてしまうのが嫌と思うのは、”昭和”の人間だからでしょうか。
携帯電話のCMで、BGMの種類を機械の提案に任せるやつがあるじゃないですか。
「日本へようこそ!」のBGMとか、「街歩き」のBGMとか、テーマを決めるだけで最適の音楽を流してくれるってやつ。
あれってどうなんです?
カッコイイんでしょうか?
なんか、最近はもうすっかり古い人間の仲間入りをしているのか、全然共感できないんですよね。
少しは自分で考えろよ!って思っちゃいます。
自分で選んで、悩んで、失敗して、その責任も自分にあって、悔やんで、
そういう繰り返しが成長につながると思いますけどね。
そんな考え方がすでに”昭和”なんだと思いますが。
例えば、塾長が子供のころ趣味にしていた写真の世界だって、今や技術の進歩で構図以外はほとんど機械任せでしょう?
露出やピントまで、後からなんぼでも調整できるんですよ。
デジカメは撮ったその場で出来栄えを確認できるし、何枚でも取れるし。
笑顔認識とかでシャッターチャンスまで指示されて。
昔はそんなことできないので失敗ばかりでした。
ここぞ!とばかりにちゃんとシャッターを切ったのに、手ブレだったり、ピンボケだったり、暗かったり明るかったり、現像段階で失敗したり・・・。
でも、だからこそ1枚1枚が真剣勝負ですよ。
カメラの持ち方も試行錯誤し、ピントを素早く合わせる練習もやり、明るさを見てシャッタースピードや絞りの調整を学び、現像の技術も磨く・・・
それでも何度も何度も失敗して、だからさらに技術を磨こうと努力するところが面白かったんだと思います。
そういうのをすべて機械に任せてしまって、面白いのかなぁ・・・
楽だし、手軽だし、というのはわかりますが、”機械任せ”や”他人任せ”からは、”自分”というものが抜け落ちている気がするので、やっぱり嫌なんです。
このままだと近い将来、
朝は、最適の空調コントロールの中、最適のBGMで最適の時間に目覚めて、
朝食は、最適の栄養バランスの食事が出てきて、
着替えは、最適の服が提案されて、
通勤には、最適の通勤経路が示されて、
・・・。
もしそういうのが世の中の主流になったら、嫌じゃないですか?
技術の進歩でいろいろと便利になるのは良いことだと思いますが、一方でアナログとのバランスも考えていかないといけないと思います。
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