【塾長日記】先生が解説を始めたら、それよりも先に自力で答を出してやろうと思ってくれないと困ります。
クラスの前で自分で授業をしているときはなかなかチェックできないのですが、塾で映像授業を見せながらその様子を観察しているとよくわかることがあります。
それは、その生徒が勉強に対してどの程度受け身になっているかということです。
映像授業で問題の解説が始まると、自分が理解した時点で後は映像を止めてでも自力で解こうとする生徒と、そうでない生徒がいます。
そうでない生徒というのは、映像授業の中の先生が答を出してくれるまで、じっと待っているんですね。
これが”受け身の生徒”の大きな特長です。
途中の計算式なども、板書通りにただノートに写していきます。
もちろん、答もただ写すだけ。
そりゃあ、最初から最後まで何もわからなかったのであれば、ただ機械的に写すだけというのも仕方がない場合もありますが、解くための方針が明示され、必要な知識や公式も教えてもらい、あとは計算するだけという状態になっても、自分では一切何もやらないというのはちょっとまずいでしょう。
そういう生徒たちは、映像授業を見ている目的がまるでわかっていないのです。
映像授業だけでなく、誰かに教えてもらったり、答や解説を見たりする目的は、自分が未知の問題を解くために必要な知識を得るためです。
そして、いずれは自分一人の力でその問題が解けるようにするためです。
一から十まですべて教えられた通りにノートに写すだけで、自力で出来るようになるはずがないじゃないですか。
そこを理解しているのかしていないのかわかりませんが、結果として、何も考えずにただ板書をノートに書くだけになっています。
もっとまずいのは、そういう作業が”勉強”だと思っていることです。
真面目な子に多いのですが、静かに授業を聞いて、板書をノートにきれいに写して、問題集も答を見ながら解答を進めていって、結構手も疲れるけれど、出来上がったノートを見ると充実感があったりして・・・
それが勉強だと思ってませんか?
はっきり言って、そんなもんは勉強をするための手段であって、勉強そのものではありません。
勉強とは、今までできなかったことをこれからはできるようにすることです。
そのためには、自分でできることやできそうなことは自分でやらないとダメなんです。
いくら板書をきれいに写しても、その内容をテストで再現できないと意味がありません。
そこを理解させていかないと。。。
結構な割合でそういう勘違いをしている生徒が存在してますから。
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