本音のところはどうなんですか。
スコアをつけないボーリングって、つまらないと思うんですよ。やってみたらわかるでしょう。タイムを計らないで走るとか。得点を数えないでサッカーやテニスをするとか。記録に目標があったり勝ち負けがはっきりするから、楽しいし、悔しいし、また頑張ろう!って思うんじゃないですか?と塾長は思います。何か対策をすれば、その成果を図ることも絶対に必要でしょう。だから、都道府県の順位は出すのに市町村の順位は出さないとか、市町村の順位は出すのに学校別の順位は出さないとか、さらには個人別の順位を出さないというのは、おかしいと思います。格差につながるとか、序列化につながるとか、過度な競争を招くとか。そもそも、細かなデータを公開することがそれらの原因なんでしょうか。データをどのように扱うかという点で問題はいろいろあるとは思いますが、データそのものに罪は無いでしょう。静岡県で、学テの結果が悪かった学校の校長名を公表したらいいという意見がありました。これは少し暴論過ぎると思いますが、要するにこれは学校名を公表してはいけない!というお達しに対する皮肉を込めた問題提起でしょう。どの学校がどのような施策をして、その結果どうなったのか。成績改善がされている学校にはどのような理由があるのか。それをちゃんと分析して、改善の進まない学校へちゃんとフィードバックされているのか。当然、各学校によって改善に対する熱意に温度差もあるでしょう。それがちゃんとチェックされて、良い方向へ向かう指導がなされているのか。今はその流れがまったく見えていないと思います。教育委員会の先生方には見えているのかもしれませんけどね。少なくとも子供を通わせている我々保護者にはまったく見えないですよ。それが一番の問題だと思うのです。ある学校で、来年の学力テストで結果を出そうとして、今から準備をしたとします。例えば、出題傾向の高い問題の練習時間を取ったり、過去の問題をやらせて答え方に慣れさせてみたり、そういう努力は絶対に必要だと思います。もちろん、そればかりやられても困りますので限度はあるにせよ、その方向性は保護者としても賛成ですよ。でも実際にそんなことをしたら、何も対策をしていない学校と差がついて不公平だとか、他の大切な勉強がおろそかになるとか、そんなこと言われて批判されるんですよ。おかしいでしょ?そうやって、他人の足を引っ張って抜け駆けさせないようにしてるんです。皆で皆の足を引っ張り合って、結局全員が沈んでいく・・・これでは学校としても何とかしてやりたいのに、手と足を縛られてそのまま泳げ!と言われているようなものです。ただ全体が沈んでいくのを見ているだけです。格差って言ったって、別に今の状態から上に伸びていくことで生じる集団全体の上下の格差については何の問題も無いじゃないですか。今よりも下が落ちていくわけじゃないんですから。むしろ、今の状態にとどまらず、どんどん伸ばせるところを上に伸ばせばいいじゃないですか。それが一人一人の個性を大切にした教育だと思うのです。それを、下が伸びないからといって、それに合わせて上の伸びも抑えようとするからおかしくなるのです。それに、序列化されるからこそ全体の中の自分の今の位置が把握できて、だからこそ個々の目標設定もできるわけじゃないですか。自分の位置もつかめないのに目標設定なんかできるわけがないし、ましてや目標も無いのに努力できるはずがないと思います。きちんと序列化した上で弱者救済を考えるのが教育の仕事と思います。今日、学テの記事が山陽新聞に出ていたので、思ったことを書き留めました。本音では皆そう思ってるんじゃないかと思うのですが・・・たてまえ論ばかりでは、何も前に進みません。ランキング参加しております。読み終わりましたら、ぽちっ!とお願いいたします。まったく身勝手なお願いではございますが、ぜひぜひ皆さんのご協力をお願いいたします。↓ぽちっとクリック!
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