【竜操教室 塾長日記】何のために問題を解いてるかってこと。
わからない問題に出会ったら、しばらくは自力で考えれば良いけれど、それでもわからなければすぐ答と解説を見ることが大事です。
答と解説を読んで、方針がつかめたらまた答を閉じて、何も見ないで解きなおせば良いのです。
で、途中でわからなくなったらまた答を確認して、そしてまた閉じて答える。
目的は、次に同じ問題に出会った時に何も見ないで解くことであって、今この場で自力で解けるかどうかは大きな問題ではありません。
その目的を理解している生徒は、問題集を解き進める際に、わからなければすぐに答を見て、自分に必要なヒントだけ読み取ったら、あとは自力で解き進める訓練をすることができます。
大問1問を解くのであっても、本当に手がでない、わからないところだけチェックしたら、できるところはできるところまで自分で解くという勉強の流れができているのです。
ところが、
それができない生徒は、わからない問題を延々と考え続け、いや、実質的に考えているのは最初の数分だけで、あとは何をしているのかよくわからない時間を長々と過ごしたあと、答を見ます。
そして、1度でも答を見ようものなら、何も考えず、解説を読みもせずに答を赤ペンで丸写しするだけ。
それで終わりです。
どこまでがわからなくて、どこからがわかったのか、この問題を解くためのヒントはどこにあったのか、次に同じ問題が出てきた時にはどうすれば良いのか。
そんなこと、1ミリも考えてません。
赤ペンで書くのはちょっと不満だけど、課題のページが埋まって提出できる状況になればいいんです。
わからないものをわかるようにしようという気持ちはどこにもありません。
同じように机に向かい、同じように問題集をやり、同じぐらいの時間をかけていても、中身が違っていれば結果はまったく違います。
課題に対して、できないものをできるようにしようという意識を持って取り組めているかそうでないか。
上位層とそれ以外を分けているのは、確実にその部分だと思います。
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