【竜操教室 塾長日記】宿題って。。。自分でやりたいと思うもののみで良いでしょう?

先生の中には、宿題を毎回大量に出して、それを提出しているかいないかを管理することが仕事だと思っている人が一定数居るように思います。


そういうやり方で実績を出すというのも一つの方法でしょうから、別に否定はしませんが、塾長は嫌です。


理由は簡単で、自分が一律の宿題が嫌いだったからです。


学校のカリキュラムを理解すること、その進捗確認としてテストで点数を取ること。


それが目的だということが理解できていれば、そのための手段は自分で選択すべきなんですよ。


自分が今やらないといけないと思っていることをやるのが一番です。


そのための道筋を示したり、そのための生徒の悩みを解決してあげたり、そのために生徒のモチベーションをコントロールしてあげたり、そういう一連の指導の中で、その手段として宿題があるのであれば、それは仕方ありませんが・・・


一律に出される宿題にその意味があるとは思えないです。


一律にしておいた方が、当然管理する方は簡単ですけどね。


一律の宿題を出して、やって来なかったらオラオラ言って無理やりやらせるのって、塾長はそこに意義をまったく感じられないのです。


むしろ、本人の自主性を否定し、課題を適当に済ませるスキルを助長し、とりあえずやれと言われたことをこなすことが目的になって、宿題の本来の意味なんてどっかいっちゃいますよ。


そうでもしないと何もやらないですから・・・


とよく言われるのですが、では、何もやらなかった場合と、無理やりやらせた場合と、そんなに結果に違いがありますか?


目先のテストでは違いがあるかもしれませんが、だとしても、じゃあいつまでそんな管理を続けるのですかってことです。


無理やりやらせて、なんとか有名校に進学して、そこでも無理やりやらせるのですか?


有名校でも無理やりやらせて、なんとか卒業させて、それでもさらに無理やりやらせるのですか?


初めて補助輪の無い自転車に乗る練習をするとき、後ろから荷台を持つ手を離したら、おそらくすっころびますよ。


でも、いつまでも持っているわけにはいかないですし、すっころぶ経験を何度かしないと自転車には乗れないものです。


まあ確かに、そのまま楽なほうに流されて何もしない子、つまり、荷台を持って支えてあげないと自転車の練習すらしない子も一定数居ますけどね。


でも、乗りたい!って本人が思えば、何度すっころんでも勝手にやりますよ。


それに、結局最後まで乗りたいと思わなかったら、自転車には乗れない前提で、その先を生きていけば良いだけじゃないですか。


そう思います。

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