【塾長日記】数学や英語を勉強する前に勉強して欲しいのは、”日本語”だという事実。

中学2年生の数学の問題です。


三角形ABCの角B、角Cの二等分線の交点を I とする。


ちゃんと図も書いてあるんですけれど、生徒たちはこの文章が意味していることがわかりません。


二等分線ってどれのこと?と聞いてもトンチンカンな返事ですし。


どの角とどの角が等しいってこと?と聞いてみてもさっぱりです。


イメージで言うと、クラスの3分の1ぐらいの生徒はこの文章の意味を読み取ることができません。


これを、


三角形ABCの角Bの二等分線と、角Cの二等分線の交点を I とする。


と書き換えてあげると、ああそれならわかる・・・という生徒が半分くらい。


これでもわからないのは、二等分線という用語を知らないという数学的な問題なのですが、これでわかるということは、日本語の文構造が理解できていないという別の大きな問題だということです。


どの言葉がどの言葉を修飾しているのかを読み取ることができないんですね。


数学の問題文でこれですから、国語や英語の長文ではもっと厳しいでしょう。


だいたい、”二等分線”という用語にしても、二等分という漢字の意味が理解できれば想像はできそうなものですが、それすらおぼつかない生徒がいます。


この例だけではないです。


日々指導をしていると、問題文の意味、教科書本文の意味、解答解説の意味、いろいろな日本語がちゃんと理解されていないという場面にたくさん出会います。


この仕事を始めてもう8年ですが、もしこの仕事をしていなかったら、こんなに日本語を理解できていない人たちがたくさん世の中に居るなんていう認識はまるで無かっただろうと思います。


現場の率直な意見としては、公立小学校で英語なんてやってる場合じゃないでしょう?ということです。


これにプログラミングまで加わるらしいですけど、お役人は何を考えているのやら。


文科省の人は一度、町場の補習塾で指導研修をして、優秀層ではなくごく一般的な生徒の現状を理解するところからやり直してみたら良いのでは?と思います。


最近はやりのアクティブラーニングだかなんだか知りませんが、どういう施策をするにしても、まずどこの層をターゲットにしているのかを明確にしないと、何の成果も期待できないことは間違いないのです。


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