正直、ここが悩みどころです。
生徒が少なくて、1対1になっている時間帯に、ちょっと問題文を読ませてみると、愕然とすることがあります。算数や数学の文章題で、たった3行ほど書いてあることを正確に読めません。文章の区切り方がおかしかったり、”てにをは”を間違って読んだり。理科や社会になると、専門用語などの熟語で、読み方のわからないものが多数。こんな状態なので、国語の長文になればもちろんちゃんと読めるはずがなく、当然意味もつかめていないでしょう。日本語の組み立てがわかっていないから、英文だって当然組み立てることができませんし。残念ながら成績下位層の生徒というのは皆程度の差はあってもこんな状態です。国語力というか、日本語の力が圧倒的に足りないのです。語彙が少なく、言葉の組み立てができないので、当然会話も貧弱なものになります。「今日の試合どうだったの?」「超、マジ、ヤバかったです。」何を聞いても、だいたい一言目はこの文章。確かに、とりあえずの受け答えにはなっていますけどね。で、結局、何がどんな風にヤバかったのか、あるいは良かったのか、一つ一つ聞いていかないと答えられないのです。こちらが様子を察して詳しく聞いてあげると、それに一言で答える。それでやっと会話が成立するのです。こんな状態だから、学校の授業で先生の話を聞いていても意味がわからないでしょう。教科書に目を移しても、日本語で書いてあるのに、その意味がわからない。まるで英語を読むかののように、知らない単語ばかり。・・・・・。高校、大学、社会人と成長するにしたがって、求められる日本語のレベルはさらに上がっていくのに、小学校レベルの日本語力しかなければ厳しいです。日本で生活している以上、すべての学習の根本は日本語にあります。これをなんとかしない限り、いくら数学や英語の勉強をしたところで、結局うわべを取り繕うだけの学習になってしまいます。学校の勉強だけではありません。アルバイトをしたり、仕事をしたり、趣味だったり、テレビを見たり、映画を見たり、インターネット上の情報もそうだし、人付き合いもそうです。コミュニケーション手段は日本語なのです。将来、数学や英語からは逃げられても、日本語からは絶対に逃げられません。自分の思っていることを正確に伝えられて、相手の言いたいことを適確につかむことができるかできないかは、とても大きいのですよ。それを成長とともに必要なレベルまで引き上げていかなければいけません。問題なのは、そういう危機感を、本人も保護者の方も持っていないことです。必要なのは国語や日本語をきっちり教える環境ですが、そこには残念ながらお金をかけてまでというニーズが無いのです。いったいどうすれば良いのでしょう。ランキング参加しております。読み終わりましたら、ぽちっ!とお願いいたします。まったく身勝手なお願いではございますが、ぜひぜひ皆さんのご協力をお願いいたします。↓ぽちっとクリック!
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