【竜操教室 塾長日記】「答」は何のためにあるのか、ちゃんと考えよう。

自分で学習できるかどうかは、答合わせがちゃんとできるかどうかにかかっています。


解答を見て、〇を付けて、間違っていたら赤で答を写す。


その作業だけが答合わせだと思っている限り、自習では力をつけることができません。


答合わせがちゃんとできない生徒は、難しい問題やわからない問題に出会っても、頑なに答を見ずに考え続けます。


でも、難しくてわからないんだから、いくら考えたって結局わからないままの問題も多いはず。


もし、運悪くそういう問題ばかりに出会ったら、時間がいくらあっても足りません。


で、「答を見ていいよ~」と声をかけてあげると、今度は、まったく何にも考えずに答を右から左にただ丸写しするだけ。


要するに、「答」を見ないで、わからない問題をずーーーっと考え続けるか、それとも「答」を何も考えずに丸写しするかの二択しかありません。


できる生徒というのは、その中間の学習のやり方を上手にコントロールすることができます。


「答」は常に横に置いて、わからなくなったら、わからなくなったところだけ「答」をチェックして、必要な情報を得たら、それ以外はまた自力で解き進める。


どうしようもないところは「答」にヒントを求めるけれど、それ以外はできるだけ自力で解けるように努力するというのが、自分で学習をできる生徒のやり方です。


「答」を見る目的がどこにあるのか、それを理解できれば、効率的に自習することができるはずなのですが、実は、それを大人からちゃんと教わっていない生徒が多いのです。


学校の先生でも保護者でも、とりあえず「答」を取り上げてしまう大人が大勢居ます。


そういう大人は、自分たちも「答」は丸写しするためのものとしか見ていないから、「答」を見ながら問題を解くという学習法が理解できないし、教えられないんですね。


だから子供たちも、「答」を丸写しの道具にしか使えなくなるという悪循環なのです。


目的はその問題を自力で解けるようにすることなので、そのために「答」をどう上手く使えば良いのかを教えてあげることはとても大切と思います。

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