【竜操教室 塾長日記】「わからない」のではない。

当たり前ですが、テストで正解を書こうと思ったら、正解を覚えていないと書けないのです。


理科や社会の知識を問われる問題のように、覚えている答をずばり書くことができる場合もあれば、数学や国語などの問題のように、解き方を覚えているから答を出せるという場合もあるでしょう。


ただ、どちらにしても覚えるという行為がテストの点数を上げることになります。


問題を見て、その答や解き方を思い出すことができなければ正解は書けません。


当たり前のことなのですが、ここがどうも当たり前になっていないようなのです。


問題を見て、よく「わからない」と言います。


ただそれは正確に言えば、「わからない」のではなくて、「答や解き方を覚えていない」あるいは「思い出せない」のであって、「わからない」のではありません。


定期テストで、「自分はどう生きるべきか?」というような正解の無い問題を問われることは普通ありません。


だからこそテスト勉強は、答や解き方をどれだけ覚えることができたかの勝負なのだというところをもっと意識して欲しいと思います。


テスト勉強とは、ワークやプリントを埋めて答合わせをすることが目的ではありません。


そのワークやプリントと同じ問題を白紙で渡されて、答も無い状態で、誰にも質問することなく、どれだけ正解を書き込むことができるかを競っているのです。


つまり、今は正解を書けなくても、テストの当日までに正解を書けるようにすること、つまり正解や解き方をテストの当日までに覚えることが目的です。


そんなごく当たり前のことがわからないまま、なんとなくテスト勉強のフリをしているだけの生徒がたくさんいます。


そういう生徒は、1度解いてみただけで、もう「わからない」と言い出します。


答を覚えるまで、解き方を覚えるまで繰り返せば、「わからない」はずは無いですから。


1度目で解けなくても、2度目、3度目、4度目と繰り返す中で解けるようになっていくことが勉強です。


そこに早く気が付いて欲しいと思います。

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