【竜操教室 塾長日記】手段の目的化が普通の環境では・・・

中学生にしても高校生にしても、いわゆる「手段の目的化」が酷すぎます。


宿題やっているのは何のため?


塾に来ているのは何のため?


やれって言われるから、やらないと叱られるからであって、それ以上でもそれ以下でもありません。


ワークにしてもプリントにしても、埋めて丸付けをすることが目的になっていて、その問題を次に解かなければいけなくなる場面がまったく想像できていないのです。


できないことをできるようになること、そしてできるようになることが増えればその先の可能性が広がること。


そこが目的だということを懇々と言い続けなければいけません。


でも、週にたった2時間程度、それを言い続けたところで、それ以外の膨大な時間に言われなければ意識を変えていくことはできないのです。


周りの大人たち、家族や先生が同じ意識で言い続けてくれなければ・・・


つまり、周りの大人たちがまず「手段の目的化」から逃れていることが最低条件なんですよね。


これが実は無理だったりします。


手段が目的化している大人はたくさん居るから。


子供たちは周りの環境を選べないので、そこはどうしようもないのかも・・・

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