【竜操教室 塾長日記】知っているのが当然ではない前提で

数年前まで、公立中学校の社会の定期テストの問題では、漢字の読みの問題がよく出ていました。


桶狭間とか、倭寇とか、風土記とか、主に歴史用語が多かったように思いますが、このレベルからやらないとダメなのね・・・とため息が出たものです。


ここ最近、学校の状況が落ち着くとともにそうした「社会なのに漢字の問題」というのを見なくなっていたので、さすがにそのレベルは脱したのか?と思っていたのですが・・・


期末テストに向けて社会の用語を暗記している生徒に、試しに全部声に出して読むように促すと、これが全然読めないんですよ。


明石海峡大橋 → あかいし?かいきょうおおはし


本四連絡橋 → ほんしれんらくばし?


銘柄米 → ????


以前と大差無いじゃん。


しかもこれが、平均点よりも全然上に居る生徒だったりするので、ちょっとびっくりです。


そのことだけたまたま知らなかったというのであれば、まあ、知ればいいだけなんですけどね。


ただ、地理についても歴史についても、一般常識的なことをどれだけ知っているかで授業の理解度も大きく違ってくるでしょうし。


話題のワールドカップでも、対戦相手国の場所とかどんな国なのかとか、そういう興味をちょっとでも持つか、それともまったく関心が無いかで全然違うと思います。


一事が万事。


それこそ、小さい頃からの好奇心の積み重ねで、知らないことを知ろうとする意欲が有ったか無かったかは、何年も経て今大きな大きな差になっているのだろうと考えられます。


ちょっとやそっと学校の勉強をしたからといっても、埋められない決定的な差というのは、おそらくそういうところから来るのだと思います。


小さい頃から知らないことを知ろうとする意欲って、いったいどうやったら養えるんでしょう。

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