【竜操教室 塾長日記】答合わせは自分でするもの。

小学校の低学年ならまだしも、高学年になってきたら、答合わせは自分でできるようにならないとダメと思います。


そう言うと、「答を丸写ししたら意味が無いじゃないですか?」と言われるのですが、親が丸付けをしている限り、答を丸写しするのと大差は無いと塾長は思います。


そもそも、答を渡したら丸写ししちゃう・・・と考える保護者の方は、おそらく自分も学生の時に答を丸写しの道具としてしか使ってこなかったんでしょう?と思います。


勉強と言うのは、答合わせから始まると言っても言い過ぎではありません。


問題を解いてみて、解けないとか、間違ったとか、そういう問題を解けるようにすることが勉強ですから、その一連の流れを自分ひとりで完結できるようにならない限り、勉強ができるようにはなりません。


答が手元にあったら、そりゃあ時には丸写しをすることだってあるかもしれません。


でも、丸写しをするだけでは勉強にはならないということを本人が理解していれば、それはそれで充分だろうとも思います。


親が丸付けをしていたり、あるいは、問題を解くことと答合わせをすることが別になっていると、本人はそもそも何をすることが勉強になるのかがわかっていないことが多いです。


問題をたくさんやれば良いのか、机に長い時間向かっていれば良いのか、とにかく問題をやったらやりっぱなしで正解か不正解かも何も気にならないようになってしまったら、もう終わりです。


そういう間違った感覚が身に付いてしまうと、それを中学生や高校生になってから修正するのはとても大変なのです。


だからこそ、そうならないように親がチェックしないと・・・と思っているのであれば、早々に答合わせそのものは本人にさせて、その答合わせの出来をチェックするようにしてほしいと思います。


まったくわからない問題の答や解説をすぐに見るというのも、勉強の大切な技術の一つです。


目的は、次に出会った時にできるようになることなので、真面目にやるとか、わかるまで考え続けるとか、手段はそれだけではないのです。


間違ったやり方が習慣化する前に、正しい答合わせのやり方を身に付けさせるようにしなければと思います。

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