【塾長日記】表現の乏しさをなんとする

なんでもかんでも”かわいい”だけで表現されていたのはもう昔の話で、今やほとんどすべてを”やばい””うざい”で片付ける中学生たち。


テストどうだった?


やばかった。


文化祭は?


それがもう、めっちゃうざくて。


そんなことより宿題やってきた?


あ、やばっ!


って、毎日の会話がこんな感じですよ。


そもそも、普段から主語がまったく無いですし。


さすがにこれだけだとコミュニケーションに問題があって、表情やしぐさから何がどの程度ヤバいのか、ヤバくないのか、日常の付き合いの中から想像して、相手の心の中をくみ取ってあげるしかありません。


ただし、今や友達同士や家族同士の会話はほとんどがラインでのやり取りなので、ここにスタンプが加わることで、コミュニケーションとしてはほとんど問題無いのでしょう。


会話表現の乏しさに反比例するように、スタンプの利用は大流行りです。


スタンプのバリエーションもたくさん増えてきているので、時にはスタンプだけで会話が成り立ってしまうことも珍しくなくなってきているようですし。


でもね・・・・。


いくらラインやそのスタンプが浸透してきたとは言え、世の中では、まだまだ言葉や文章によるコミュニケーションが主体だということには変わりありません。


当たり前ですけど、スタンプなんか無しで、双方向に支障なくコミュニケーションが取れることは、大人としての必要最低限の能力なのです。


日々の生活の中で交わされる会話や目にする文章が、すべてスタンプ付きのものに変換されてしまうようなアプリが開発されれば別でしょうが。


こればっかりは、20年や30年ではなんともならないでしょう。


(でも50年ぐらいだとちょっと自信は無いのですが・・・)


要するに、会話でのボキャブラリーの不足や、文章の表現能力の欠乏は、コミュニケーション能力を大きく阻害する要因になるということです。


当面、それをスタンプで補うことはできません。


コミュニケーションが取れないということは、誰かに迷惑をかけるとか、そういうことではなくて、自分自身が本当に困るということなのです。


仕事やそれ以外の活動でもいろいろ困るでしょうし、何より、大好きな人に、ラインの中ではちゃんと会話ができるけど、面と向かっての言葉では全然自分の気持ちが伝わらないし、相手の気持ちも伝わってこないってことになったら、それってとても悲しいことだと塾長は思うのです。


ラインの単語とスタンプの羅列ばかりではなくて、たまには手紙で自分の気持ちをしっかり相手に伝えてみてはいかがでしょう。




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