【塾長日記】求められるのは臨機応変。
男の子に多いのですが、字がとにかく汚い。
何を書いているのか全く読めない。
もうちょっとなんとかならないの?と思いますけど。
だからと言って、いつもいつも”きれいに書け!”って叱ることはあまりありません。
自分が計算をするための途中式であったり、ちょっとした備忘録であったり、要するに目的が”きれいに書くこと”に無いのであれば、別にいつもいつもきれいな字を書く必要は無いですから。
例えば、他人に見せる必要のない途中式などは、字のきれいさは多少犠牲にしても、スピードを重視すべき場合も多いと思います。
計算問題であれば、できるだけ早く、できるだけ正確に答を出すことが目的。
問題を解くスピードを求められているのであれば、字を書くのにも一定のスピードが必要ですし。
もちろん、スピードを上げたことで汚い字になって、例えば途中式を見間違えて計算ミスしてしまうようであれば、スピードを上げた意味がありませんけどね。
でも、もしそれが漢字の書き取りであれば話は別でしょう。
止め、はね、はらいがちゃんとできていて、部首などのパーツの大きさの関係もきちっとできるように、その練習をしているのですから、そこを重視して字を書かなければ意味がありません。
ここでスピードを求められることは少ないですしね。
だから、計算ドリルの途中式が多少汚くても正解しているのであれば叱りませんが、漢字ドリルの字が汚かったら絶対に叱りますよ。
要するに、根っこのところで指導したいことは、なんでもかんでもきれいに丁寧に書けということではなくて、目的とそれに至る手段を考えろ!ということなんです。
いつもいつも汚い字しか書けないよりは何倍も良いと思いますが、それでも、いつもいつも丁寧に書くことしかできないというのもちょっとどうかなと思います。
計算力を鍛えることも大事だし、漢字の書き取りをきれいに丁寧に書かせることも大事ですが、それよりなにより、状況に応じて今自分が何を求められているのかを常に考え、それに臨機黄変に対応できるようにしていかなければと思います。
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