なんとなく反省していること。
人って、自分の成功体験からなかなか逃れられないものだと思います。塾長は小さいころ、ノートをあまり真面目にとっていませんでした。計算式だって、自分で見ればわかりますが、とても他人が解読できるようなものではありませんでしたし、興味のあまりなかった国語や社会のノートなんてまったくとっていません。必要なら、真面目な子に借りてそれを写していました。それでも、特に学生の頃勉強面で困ったことはありませんから、「ノートなんて、自分が必要と思ったことだけで良くない?」と心の中では思っています。対するにうちの嫁。中学、高校と真面目に授業を受け、真面目にノートを取っていたそうです。いつだったか先生に、「きれいなノートだね!」って褒めてもらったことがとても嬉しくて、さらに勉強を頑張ったと言います。なので、嫁にとっては、「ノートは真面目にきれいに取ることで、勉強ができるようになる」というのが当たり前なのです。だから、娘の教育方針では、たまに相容れない大きな溝を感じることがあります。それはお互いに自分の成功体験に縛られているからですし、自分の意見の方が正しいに決まってるという慢心があるからでしょう。よく考えれば、自分が上手くいったからと言って、その方式が万人にうまくいくかどうかはわからないじゃないですか。もっと謙虚に他人の考えも認めていかなければいけないのです。そう思うようにしています。すぐに忘れてしまうので・・・。ノートを取るという単純なことについてでさえそんな感じですから、本当に意識して気を付けていないと、いつの間にか万事で、自分が言ってることがすべて正しくて、他人(特に若者)は間違ってる・・・という考えに至ってしまう危険性が常にあると感じています。最近の若い者は・・・っていうのも、まさにその典型ですよね。先生という商売をしていると、意識していてもいつの間にか”慢心”にどっぷりとつかってしまいそうです。そうならないように、謙虚に、誠実に過ごさなければと反省をしております。ランキング参加しております。読み終わりましたら、ぽちっ!とお願いいたします。まったく身勝手なお願いではございますが、ぜひぜひ皆さんのご協力をお願いいたします。↓ぽちっとクリック!
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