基本の反復だけでは難しくなってきました。
たとえば、中学校の英語の教科書は、各レッスンごとに新しい文法のテーマがあります。このページで習う新しい文法はこれです!って感じでまとめて書いてあります。テスト範囲で何を勉強したら良いかと言えば、まずその文法理解が最優先じゃないですか。あとは、そのページに出てくるお決まりの表現とか熟語とか。その用法が穴埋めや並べ替えで出題されるに決まってます。だから、ワークだってそういう問題ばかり。ワークの問題がわからなくても、その該当ページを教科書で確認すれば、答はある程度予想がつくはずでしょう?・・・というのは、ある程度の成績が取れる生徒の常識なんです。最近の成績下位の生徒たちというのは、この”予想”という概念がかなり乏しいことが多いです。教科書の構成、そしてワークの構成、学校の授業の内容、先生の話など、普通に考えれば、それらがすべてあるテーマに沿って、同じことを説明しようとしていることがわかるはずなのですが・・・。なぜか、成績下位の生徒というのは、それらの関連性に気づいていないことも多いのです。短期間であっても、あるいはもっと短い1時間の授業の中でも、教えられていることや学習していることが”体系的”にとらえられていなくて、ブツ切り状態。今の勉強がどこにどのようにつながるっているのかをほとんど考えていませんから、知識の積み上げから、次の問題の解法を予想するという流れにもなりません。そもそも、どの問題を解くときにもそれぞれ個別にバラバラのものとしてとらえられていて、関連を考えるという発想も無いのかもしれません。学校の授業というのは、基礎から始まって、一連の流れの中で最終的なゴールであるひとつのテーマに向かって進んでいくように構成されるのが普通ですが、この大きなテーマ、最終的なゴールに向かう一つの道筋もまったく見えていないのでしょう。だから、さっきやったこと、今やっていること、次にやることがそれぞれどのように関連付いているのかというところに考えが及びません。要するに、この問題、さっき同じパターンをやったばかりじゃない?・・・というのがまったく通用しないということです。そもそも、基本問題や類題が何のために存在しているのかもよくわかっていないのだろうと思います。これでは、せっかく基本的な問題の反復学習をしても、その効果が大きく低減されてしまいます。その問題は解けるようになったとしても、次へ発展しないからです。そういう子たちは、会話をしていても、一連の流れのある会話にならないことが多いです。一つのテーマに沿って話をしていても、その枝葉の部分で気になることがあると、そっちに意識が向かってしまい、結局何のテーマの話だったかわからなくなってしまうのです。これはなかなか手強い状況です。しかも、これらの傾向はけっして少数派ではなく、最近、特にどんどん増えてきているようにも感じます。こういう子たちをどのように導いてあげるのがより良いのか。単に基本の反復だけで解決できる問題ではないので、もっとしっかりとした方法と手段を検討し続けていかなければいけないと危機感を持って日々の指導に取り組んでいます。ランキング参加しております。読み終わりましたら、ぽちっ!とお願いいたします。まったく身勝手なお願いではございますが、ぜひぜひ皆さんのご協力をお願いいたします。↓ぽちっとクリック!
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